「飛鳥」・日本文化のルーツを巡る旅  − 万葉のこころを訪ねる航跡 −

 SPECIAL TALK 

   対話が彩る美しい時間。
   それは、船上での出会いに似て、ゆったりと深い。

   遥かな国々の港へと寄港し、見覚えのある風景を巡っていくと
   鮮やかに、ひとときが熱し、語らいの旅が始める。

   田村能里子さん(画家) 團伊玖磨さん(作曲家)

    インドそしてシルクロードへの絵画航路。

 團   田村さんは、はじめていらっしゃった海外というのがインドで、それから中国ですか。
      歴史的にも勉強の仕方としてもちょうどつじつまが合ってますね(笑い)。

 田村  いえ、偶然といえば偶然なんですが、後から考えてみるとちゃんと道がつながっているようなんです。

 團   あらゆる必然というのは、いつも偶然が始まりです。
      インドには長くいらしたんですが。

 田村  始めてインドの地を踏んだのは25歳のときで、毎日の日課のように人ばかり描いていました。
      4年間くらして、それからも度々訪ねましたから20年程、インドとかかわってきたことになるでしょうか。
      その後、ほとんどものの弾みといった感じで中国へ留学が決まりました。
      3ヶ月間の予定でしたが。

 團   中国はどちらに滞在されたんですか。

 田村  文化庁の芸術家在外研究員として行ったものですから、北京の中央美術学院に入学ということで・・・。
      ちょっとヒネた留学生でしたけれど。(笑い)。
      もちろん世界中どこへ行ってもよいという推薦をいただいたのですが、世界地図を広げて中国にしようと
      決めたのです。
      イタリアやスペインも魅力でしたが、インドに興味を持った延長線上でどうしても中国へと。

 團   私が中国へ最初に言ったのは1966年、芝居の前進座と一緒でした。
      当時はまだ気の効いたホテルなんかありません。
      でも、それはそれでまた良さがある。
      以来中国との付き合いは40回の旅で、深いものになりました。
      今度はあまり人の行かない北の方へ行こうと思っています。
      北疆のソ連(当時)との国境の方は、アルタイとかクラマイとか、街の名前も雰囲気がありますね。

 田村  あちらの方に行くとロシア人との混血のような人がたくさんいますものね。
      一度旅行したことがあります。
      ビデオを撮ってきたんですが、その中に向こうのラジオから流れていた音楽が入ってるんです。
      メロディが何か懐かしいようなロシア風の音色なんです。

 團   音楽といえばカシュガルがある。

 田村  先生はカシュガルへ行かれたことがおありですか。

 團   ウルムチ、アスク、カシュガル、そしてホータン、クチャ。
      大陸の真ん中を突っ切る大変な旅でした。

 田村  アスクは“嵐の産地”って言われていますよね。

 團   アスクからクチャの間にひどい砂嵐に出会いました。
      言いようのない苦労を重ねて(笑い)
      旅先で困るのは、やはり言葉の問題。
      日常会話ぐらいは、旅行中に何とかなりますが、いざ困ったときなどはね・・・。
      それにむこうは、地方によって言葉が全然異なる。

 田村  言葉の自信は全然ありませんが、動作やマイムでこちらの意思を伝えるのには自信があるんです。
      画家特有の長所かもしれませんが、あなたのことをスケッチしたいんだと、初めて会った人にも
      ちゃんと伝えることができます。

 團   それは特技だ。
      音楽家は割りと言葉に強いと思います。
      耳から入ってくる音の特徴を捕まえるのが普通の人に比べて早いみたい。

 田村  言葉が不自由で、中国で警察に連行されそうになったことがあります。
      民家の前に座り込んで夢中になってスケッチしていたら、どうも不審な外国人と思われたらしいんです。
      リュックにはビデオ・カメラ・スケッチブックがぎっしりでしたから。
      スパイと間違われたみたいです(笑い)。

 團   確かにスパイの持ち物だらけだ。
      美貌の女スパイ(笑い)。


   中国では父母、朝鮮は兄貴、祖先を訪ねるならインド。

 團   今日は私にとって特別な日なんです。
      4ヶ月くらいかかった「飛天撩乱」という曲ができたばかり。
      今日の昼ごろ完成して、晴々とした気持ちでここに来ました。
    
 田村  それはすばらしい日にお目にかかれて感激です。
      どんな曲なんでしょうか。

 團   言ってみれば交響詩なんですが、奈良の正倉院に保存されている楽器を調べているうちに、
      これらの楽器は実際にどんな音色がしたんだろうか。
      また、どんな陽に演奏されたのだろうかって気になりました。
      また、「飛天」:というのは、仏教の世界でいうところの空中を飛行する天女のことです。
      その天女たちの多くは楽器を持っている。
      東大寺の八角灯籠にも描かれているのでご存知の人も多いと思いますが、西洋に渡ったものは
      エンジェルとなったのでしょう。

 田村  敦煌の壁画にもありました。
      楽器をてにした絵が。

 團   手に持っているのもありますが、楽器だけが飛んでいるのもある。
      鼓や笛が空を飛んでいる。
      そして音が天から降ってくるんです。
      青空のどこからか音楽が流れてきて、どこかに消えていく。
      そんな事をイメージして作った曲です。
      また「飛天」というのは、必ずしも優美で弱々しい存在ではないんです。
      良い神様ばかりではない。
      私は「飛天」という言葉から雷神を連想することもあるんです。
      ほら雷様も楽器を持っているでしょう(笑い)
      つまり典雅な調べも奏でるし、ダイナミックで荒々しい一面も持っている。

 田村  はあ、同じ敦煌の壁画でも見るところが違うんですね。

 團   いや、それだけ中国には日本の文化の原点があるということなんでしょう。
      私の考えは、日本を知るためには中国、朝鮮を訪ねなくてはいけないということです。
      そしてその先の祖先にインドがあるということです。
      中国は父と母、朝鮮は兄であり、おじいさんはインドってことですね(笑い)。
      でもインドっているのは、とても私には手ごわい(笑い)

 田村  私の場合は、真っ先に祖先の地を訪ねてしまったわけですね(笑い)。

 團   インドは何か魔性の国といったイメージがありますね。
      日本人にとって中国のようにはいかないと思う。
      田村さんの体験はいかがでした。

 田村  20年も前のことですから、インドに関する情報や知識もなくて、本もあまり出ていませんでした。
      最初の印象は、電球の照明に驚きました。
      国際空港だというのに、やっぱりちょっとね。
      それからあの黒い瞳、あのネトッとした空になれるのに2年かかりました。
      ほら、インドの人ってターバンを巻いた哲学者のような顔をしているでしょう。
      あんな深刻な顔をして、いったい何を話しているのかっていうと、けっこうたわいのないことを
      話していることが多いです.。
      ちょっと耳がん慣れてくると、道路で30円拾ったとか、自分も欲しいからどこの道路かって、
      どんな高尚な話をしているのかって、誰でも最初は騙されちゃいますよね(笑い)。

 團   そんなインドのどこにひかれたんですか。

 田村  やっぱり人ですね。
      それもアーリア系の美しさというより、大地にしっかり根を張っているような女性の逞しさかしら・・・。
      凄みのある女性を描きたかったんです。
      サリーを着ているんだけど、あぐらをかいて座っている、大地のお母さんという女性。
      そういう美しさ。
      先生は、女性の美しさってどうお考えですか。

 團   いや、私はあまり。
      女性は不可解です(笑い)。

 田村  インドへの旅の終わりは、壁画との出会いでした。
      砂漠への入り口といわれるジャイプールの西にジュンジュヌという町があるんです。
      その町全体に壁画が描かれているんです。
      まるで色彩の迷宮。
      砂だけの無の世界に対する人間の挑戦が忽然とそこにあったんです。


       「飛鳥」で訪ねるたび 万葉への夢の船旅


 團   「飛鳥」の壁画はいつごろから手をつけられるんですか。

 田村  この9月から約2ヶ月いただいています。
      壁画の場合、アトリエで構想を練ったものをそのまま描くということができません。
      実際に現場に立ってみて、イメージをさらに膨らまします。
 
 團   壁画の場合は、ちょっと掛け変えるというわけにはいかないし。
      周囲との調和がたいせつでしょうね。

 田村  そうなんです。
      「飛鳥」という言葉にこだわりを持っていきたいと思っています。
      でも、古い日本の原風景を再現するだけでは、私としても納得ができません。
      ただ、やっぱり大らかな万葉の世界、見る人の心が自由に羽ばたけるような作品にしたいと思っています。

 團   相当な大きさになるんでしょう。

 田村  壁画というと横長のサイズが普通なんです。    
      絵巻物というような感じを想定して絵の世界を作っていくんです。
      見ていただくときは、首を横に譜ってご覧いただきます。
      ところが、今回の「飛鳥」の壁画は、横8メートル、高さが14メートルと縦長です。
      高さ14メートルというと四階建てのマンションを想像していただくとおわかりいただけると。
      ですからこれまでの壁画と異なった考え方が求められます。
      それと、壁画が大きい割りに、見る側に引きがあまりありません。
      3〜4メートルぐらいしか下がれないんです。
      ですからこうぐっと見上げるかたちになる。
      上の方はどうなっているのかしらと。

 團   そうすると水平で見たときと違うバランスで人体を描かなくてはいけないんですか。

 田村  そうなんです。
      ご存知のミケランジェロみたいに4頭身ぐらいの人物にしなくてはいけなくなってくるかも知れません。
     
 團   しかし、エントランスホールの壁画ですから、なにも1階だけから見るとは限らない。
      2回や3階から見る場合もある・・・。

 田村  そこのところなんです。
      苦心が必要なのは。
      これまでの壁画と違ってみる人の視線の位置が固定できないんです。
      それで全体の構成といったものより、ストレートに見るときの個々のアングルを大切にしようかと。

 團   それでいいでしょうね。
      人間の目というのは、ちゃんと修正して対象を捉えることができますから。

 田村  そうですか・・・、では人間の目の力に頼って(笑い)。

 團   しかし、今回のお仕事はすばらしく可能性を広げげられますね。

 田村  ええ、とてもよい経験になりますし、勉強にもなります。
      何しろ日本で一番の客船にかけるんですから。
      実は西安の唐華賓館というホテルの壁画のときも、事の重大さに気づかず気楽な気持ちで
      お引き受けしてしまったんです。
      西安といえば、昔の唐の都・長安でしょう。
      歴史の重みというか、重さも知らず空恐ろしいことを。

 團  いや、そのおおらかさこそが現代人が失ってしまった万葉人の精神かも知れませんね。
     田村さんはまさに飛鳥を巡るたびをしておられる。


      壁画はシンフォニー?音楽と絵画、音と色彩。

 田村  一度質問したかったんですか、作曲というのは、どのようにつくっていかれるのでしょうか。
      絵画の場合と違うと思いますが。

 團   田村さんのお仕事と同じで、作曲という作業は大変時間がかかる仕事です。
      このコンピューターの世の中にバッハやモーツアルトがやっていたのと同じようにに1人で黙々と
      五線譜の上に音符を書いていく・・・。
      軽音楽の方のなかには、コンピューターを駆使して作曲やアレンジをされる人もいますが、私たちの方は
      かたくなに使いません。
      もちろん使わないよさがあるからなんですが、一番困るのは、頭の中でこれから先の展開が分かってしまうのです。
      しかし現実には、その何歩も手前の瞬間の断面を書いている。
      先に進みたくってしかたがないのに、その手前に左右されている。
      それをこらえるとフラストレーションが溜まって、いやになっちゃう。
      それで、みんな作曲をやめちゃうんだ(笑い)。

 田村  私の場合も、下塗りの段階から全部自分でします。
      この右手で黙々と重ねぬって行くといった原始的な労働ですね(笑い)。

 團   しかし仕上がって作品としてみる場合は、そうしてシコシコ描いたことは問題ではなくなってくる。
     作曲も同じで、以下に努力や根気を必要としたかは問題ではない。
     あくまで作品として聞いていただくわけです。
     第1ページ目のスコアを書きはじめるとき、いやだなあ、また電話帳みたいなものを書かなくてはいけないのかって。
     でも千里の道も一歩からで、40分の作品も1分の40倍ですから、毎日1分ぶん書いていけば40日で仕上がる。
     いつもそれを忘れないでやっていけば苦にならない。
     それを知ることがプロの道なんだろうなって感じています。

 田村  すごいですね。
      團先生でもそんな努力をなさっておられるのですか。
      壁画の努力も同様です。
      どんなに大きな作品でも、一筆一筆、一色一色の織りなす作業の積み重ねです。
      その部分は、絵師の共通した気持ちです。
      敦煌の壁画の前に立って考えたことなんですが、この洞窟に泊まりこんでいた絵師たちは、
      一体どんな思いで描いていたのだろうか・・・。
      別に名前が書かれているわけでもないし、やっぱり生活のためかな、どんなプロ意識で描いたのかなって
      いろいろ想像しましt。
      でも絵の中の世界というのは自由なところがあって、絵師たちの遊びが作品の中に残っているとホッとします。
      例えば人と人の間に蟻がいて、その蟻が相撲をとっている。
      それを別の動物が羨ましそうに見ている。
      そんな場面を発見すると、何だかうれしくなってしまうんです。
      昔の絵師が身近に感じられて・・・。

 團   音楽の世界にもそうした遊び心が隠されている名曲が残っています。

 田村  初心者の質問ばかりですが、オーケストラで演奏するような大きな作品と独奏楽器の小品とでは、
      どちらの作曲が難しいのでしょうか。

 團   オーケストラの作品はたくさんの楽器を使える反面、それだけ制約が求められます。
      自由な楽想という面では、独奏楽器による作品の方がつくりやすいです。
      ほら、3人でいるより1人でいる方が自由でしょう。

 田村  一つひとつの強い個性をまとめるのは難しいでしょね。
      相手が人だけに。
      ところで團先生は、絵をご覧になっていてその絵から音楽や音を感じることがございますか。

 團   もちろん、その絵が発信する音が聞こえてくることがあります。
      叫んでいるような音だったり、抱擁するような音だったり・・・。
      でも、作曲しているとこは、部屋の中にそうした強烈な絵は飾っていませんが。

 田村  絵を描いているとき、自分の絵から音楽が聞こえてくることがあります。
      音楽というより、音。
      風の音だったり、砂の流れる音だったり。

 團   「飛鳥」の壁画を描いている田村さんの耳には、一体どんな音が流れるのか楽しみです。
      完成なさったときは、まっ先に拝見にあがりましょう。

                                       
                                   (C)Noriko Tamura All Rights Reserved.

 過去の掲載記事
ESCALES「寄港地」
1991年第4号