◆◇◆◇◆◇ 不思議な縁に導かれて ◇◆◇◆◇◆

   GinZASALon 銀座サロン ゲスト田村能里子 池内紀 北原亞以子

   制作は命がけ
 
 池内 田村さんは壁画制作をなさるから非常にエネルギッシュな方かと思ったら、小柄な方ですね。

 田村 みんなに、「意外に小柄ですねって」って言われるんですが、小柄に見えます?

 北原 いえいえ、細身でいらっしゃるけど、背の高い方だなあと思いました。

 田村 背丈は、一六一くらいでしょうか。
     太っていられないんです、壁画制作に入ると、二キロぐらいはすぐに落ちちゃうので。

 池内 あれは厳しいですね。

 田村 肉体労働者なので(笑い)。

 池内 われわれは出来上がったものしか見ないけど、あれは下塗りを何度も何度も。

 田村 そうなんです。
     色を塗り重ねていくんですけど、ただ重ねてベタッとしてるんじゃなくって、
     織物みたいにちょっと下に色がのぞくって言うか。
     タブロウ(動かせる絵)もそうですけど、出来たものだけが皆さんの目の前にでてますが、
     本当は作っていく途中が、
     こちらの楽しみでもあるし、ほんとは、どちらもお見せしたいところなんですけどね。

 池内 壁画は、もうずいぶんお描きになったんでしょう。

 田村 今、手掛けているものを含めると五十五・・・・ですか。
     数だけを持って誇れるものではありませんけど、年に二、三作ですから、われながら、
     よくこのペースが保てたと思って(笑い)。

 池内 最初の作品、西安のホテル「唐華賓館」ですか、これはどういうご縁で?

 田村 文化庁の中日文化交流で北京中央美術学院に留学しましたときに、いろいろな出会いがあって、
      西安のお話につながったんです。
      この壁画は建設中の現場に行って描いたんですが、一年半もかかりました。

 北原 大変でしたね。中国での冬の寒さはすごいでしょう。

 田村 マイナス一〇度ですからね。
     アクリル絵の具で描くんですけど、水で溶ける絵の具なので、水が凍ると分解が起こって、
     どんなに筆を運んでも粉になって散ってしまうんです。

 北原 想像がつきませんね。
     しかもこの足場の幅が狭くて高いこと。
     写真見ただけで、私怖いもの。高所恐怖症だったらできませんね。

 田村 この足場の華奢なことね、今思うと(笑い)。
     「飛鳥T」のときは壁画が十五メートルの吹き抜けがありますから足場が組めないところがあって、
     上からゴンドラがぶら下がっていて、「あれに乗って描いてください」って。
     「落ちたらどうするの」って訊いたら、「命綱がありますから」と。

 北原 命綱・・・(笑い)。ゴンドラは自分で動かすんですか。

 田村 天井からひもでぶら下がってるんです(笑い)。
     ですから、右の方に移動したいときは、右側についているチェーンを引っ張ると、そっちに行く。

 北原 うーん(笑い)。壁画を描くとき、西安のホテルであれば、六〇メートルもあって大きいでしょう。
     たとえば人物の配置であるとか、全体を事前に頭に入れて描かれるんですか。

 田村 壁画に関しては設計の人との打ち合わせが必要で、外国なのか日本なのか、日本でも北の寒い地方なのか、
     東京の真ん中か、目的も病院かホテルか大学か、どんな方が主に見るのか、とかまでは、打ち合わせが必要
     なんですけど、私はとにかく現場主義で、自分の足で現場を確かめ、
     体に叩き込んで描くのがいちばんだと思ってるんです。
     西安の場所だけは、中国の方にはどんな絵を描くかわからないので、自分の頭の中を吐き出すように、
     事前に下絵を描きましたけど。

 池内 田村さんの絵はとても繊細な技と思うので、大きな画面に繊細さで描ききるというのは、力技ですねえ。

 田村 そこらへんが難しいですね。
     細かく繊細であればいいというものではありませんから。
     ただ、私は素描の線に非常にこだわっているんです。
     油絵の筆って先がもたっとしているので、なかなかシャープなきれいな線が出ず、面と面とで絵を仕上げていく
     感じなんですね。
     でも、私はどうしても油絵のうえで、デッサンの線画の技を日本人として使いこなしたいと。
     これは油絵の世界では普通はやらなかった手法なんですが、その技法を壁画でも大いに生かしたいと思って
     やってるんです。


       ◆◇◆◇◆◇ わが子をお掃除 ◇◆◇◆◇◆

 田村 壁画は見る位置がいろいろありますから、それによって見え方もだいぶ違ってくるんです。
     ですからそれを意識した描き方をすることもあります。
     西安のは、九メートルの高さにあるので、荒々しいタッチのところもけっこうあるんです。

 池内 昔の大きな仏さんなんかだったら、下から見上げるような形で見るから、真正面から見るとちょとへんなんだけど、
     下からみると崇高に見えるように仏師の人はつくりますね。
     壁画もそういう配慮が必要なわけですね。

 田村 そうですね。
     特に人物は、天井画の絵でも、下してきたらなんかデッサン狂ってるような頭でっかちでも
     オーケーなんです。
     でも最近は、よくばりになって、見る位置も下から一箇所じゃなくて、二階からも三階からも見られるように
     しつらえてあるんです。

 北原 上り下りの回廊になってるところには、行ったことがありますけど。

 田村 それがけっこう大変なんです。
     そのときも、一番みんなが見たがる場所を考えて、人物の大きさを考えないと、ヘンな形になってしまいますから。
     それ絵に壁画はこれからずっと残していくものだから、人物の体型もその辺を考慮して、
     背をやや高めにしてみたりとか、考えますね。

 池内 むずかしいもんですねえ。

 田村 いやいや、やってみて、経験して、だんだんわかっただけですから。
     私、西安の壁画などを“わが子”と呼んでるんですけど、ときどき体を洗ってやるように、お掃除しに行くんですよね。
     壁画は建物が壊れない限り永遠にあるわけですから。
     濡れ雑巾で拭いてお掃除するんですけど、日本のはそんなに汚れていないんですけど、
     西安のは、砂漠がすぐ西にありますから、けっこう真っ黒になるんです。
     そのときに自分の絵をもう一度、十年、十五年経って見る。
     「あ、すごい。いまではちょっとできないようなダイナミックなこと、すごく勇気をもってやってる」なんて、
     人の絵じゃないのに、つぶやいたりするんです。

 池内 確かに、ある年頃の持っている勢いってありますね。

 田村 タブロウは、描きての手を離れれば、普通、それきりですけれど、壁画はその後も、そこに行けば会えますから、
     作者にも新たなコミュニケーションの世界が広がりますね。

 北原 全然、修復はしないですむんですか。

 田村 持たせようと思えば、百年でも二百年でも絵は残りますが、建物がなくなればもうダメですけどね。
     実はこないだの四川の地震の影響で、西安の壁画に、ピーッとひびが入ったんです。

 北原 え、西安の壁画まで?

 田村 生きてる間にそんな大きなひび割れを目にするなんて思ってもなかったんですけど。
     とりあえず、漆喰は中国側で直してもらって、絵の部分は、私が六月に修復に行くんです。
     自分の絵を自分で修復するというのも、あれですけど。

 池内 それも、おもしろいんじゃないですか。

 田村 ええ。で、そのことを最近ホームページにのせたら、JTBがツアーを組んで修復するところを見学に
     来るって(笑い)。

 池内 そう、公開で修復なさるといいと思う。
     それを見に行く人も非常に印象深い経験になると思いますね。

 北原 きれいになっていく一部始終が見られるわけですものね。

 田村 この際、きちんと直して、もう一度掃除してこようと思って。

 池内 逆に言えば、絵が生き物だから、そういう傷を受けたりするんですね。
     そうしてて手入れしてやれば、また生き返るわけですからね。

 田村 でも、ちょっと直したいなと思うところがあったら、どうしようかな。

 北原 描き直しちゃうの?それはちょっと(笑い)。

 田村 四十代のときには粋がってやったけど、長年見てたらちょっと・・・・って(笑い)
     まあ、そんなこと言ったら怒られちゃうでしょうからしませんけど(笑い)。


      ◆◇◆◇◆◇ 筆置きのチャンス ◇◆◇◆◇◆

 北原 描いてらっしゃるうちに、人物なり動物なりが、ひとりでに動き出して、多少違うものになってしまうことってありません?

 田村 自分とそれがずっと対話し続けていますから、やっぱり生き物のように動き回りますよね。

 北原 位置が変わってしまうとか。

 田村 ものをお書きになるときでも、やはり、「ここらヘンでちょっといけなくなってもらいましょう」
     とか、あるんですか。

 北原 実は、書いている人物が「僕はそうじゃないんだけどな」って言ってくるような気がするんですよ。

 田村 そう、そんなんです。
     「現場にはいつも美神がおわします」って、何かの力が働いて、絵が自由に動いてしまう感じになることがある。
    ただ、自分では指揮者のようにそれをコントロールしているつもりでも、それに完全に引きずられてしまうと、
    そのときはいいと思っていても、そのまま残るものですから、
    「あなた、これでほんとによかったの?」と、パッと見せつけられて
    「動かさなければよかったな」と思うこともある。
    だけど筆置きしたら、もう自分のものではなくなるから、子離れしなくてはいけない。
    いろいろありますね。

 池内 壁画のように大きいものは、どこで「これで終わり」と決めるんですか。

 田村 筆置きのチャンスというのはやはり自分の感覚で、決心しないと。

 池内 いますよね。
     よくアマチュアの人が、いじっていじって。

 北原 描きすぎちゃう。

 田村 文字の世界もそうかもしれませんが、ありったけの時間をかけ、ありったけのお金をかけ、やりすぎですよね、
     それのちょっと手前で、いい感じのところを自分でつかむというのが分からないと、毎回いいものを同じレベルで
     出していくというわけにはいかない。
     素人さんでも、すごくいいものが一回だけできる場合もありますけど、プロは、それがずうっと続いていかないと。

 池内 最近、ちょっと変わった仕事をなさいましたね。
     京都のお寺の襖絵ですか。

 田村 嵐山天龍寺塔頭 宝厳院の襖絵です。
     一昨年に完成したんですけど、ちょうど、私の五十作目にあたるんです。
     本当に不思議だったなと思ったのは、一作目が中国西安で、今回依頼のあった京都のお坊さんは、西安のその
     ホテルを定宿にしていらして。
     それで襖絵を頼みたいと。
     襖絵なんてやったことないし、襖は開け閉めしますから、動きますよね。

 池内 そうですね、ええ。

 田村 壁画というのは動かないものだという頭があったんですが、五十八枚の襖、約六十メートルなんです。
     仏の道を歩いてきたつもりはないのに、さかのぼれば若いときにインドで四年ほど暮らして、
     中国は文化庁のルートでご縁があって、その後主人の都合もあってタイに三年住んでと、なんかそのラインが
     自然に結ばれるようで。
     しかも「何でも協力するから田村さんの描きたいものを」と、えらく信用されてしまって。

 池内 それは逆に難しいですね。

 田村 しかも、「田村さん、お願いには、僕らも相当、決心してまいりました」と。
     なぜかというと、今まで日本の社会では、女の人がお寺でそういう仕事をしたことがないと。
     それと油絵の人はだれも襖を描いたことがないと。
     そういう伝統を破って、いろいろな方に了承を得てお願いに来たのだと。

 池内 それは引き受けざるを得ないでしょうね。

 田村 ええ。
     そんなチャンスをいただいたんだから、自分なりにがんばってみようと思いました。
     それで襖絵って、決まった風景とかいろいろな決まりごとがあるんですね。
     で、「なにかいけないということはありますか」とお尋ねしたら、
     「何もないと思ってください」と。

 北原 何宗のお寺なんですか。
 
 田村 禅寺です。

 北原 すごく太っ腹な禅寺ですねえ。

 池内 そう。和尚さん、なかなかたいしたものですよ。


     ◆◇◆◇◆◇ 『 風河燦燦 三三自在 』 ◇◆◇◆◇◆

 田村 それで、できたものがこれで(と、襖絵の写真集を見せる)。

 池内 ええーッ、これが襖?

 北原 あ、これいいですねえ!

 田村 実は赤襖といって、全部が真っ赤なんです。
     お部屋が六つあって、最後の方にラピスラズリのようなブルーが空に出てくるんですが。
     嵐山というグリーンの世界の大自然の中に、真っ赤に命が燃えてるっていう感じの、
     上空から見たら本堂の中なんて点なんですけど、その点が赤々と燃えているというイメージを
     全部の赤で染めてみようと思ったんです。
     一部屋一部屋を朝、昼、夜というふうにして、真ん中にお花と蝶で観音様が立たれるところとかね。

 池内 自然がつくった黄金の部屋って感じ。
     中に座ってみたいですね。

 田村 引き手もデザインしたんです。
     人間が生まれる前からいたかもしれない鳥とか、荷物を運んでいた象とか、らくだとか、はめてみるとなかなか
     ぴったりしてまして。
     とても喜ばれました。

 北原 いいですよ。
     禅宗の和尚さん、やるじゃない(笑い)。

 田村 とても喜んでくださって、「僕が思ってたとおりだ」って。
     調子いいわねって思って。
     だって私だって考えてなかったのに、どうして和尚さんがそんなこと見抜けるの?
     っていう感じなんですけど。

 池内 部屋の名前はあるんですか。

 田村 部屋の名前というより、全体で『風河燦燦 三三自在』って題名です。
     大自然の中に、日がさんさんと照りつけるように、輝く未来というと大袈裟ですけど、希望を持ってね、と。
     イメージが、その人その人によって意味が膨らむだろうと思って。

 北原 これはどれくらいの期間がかかったんですか。

 田村 やはり一年半くらいかかりましたね。
     これだけは本堂で作るのと一緒に現場で書くわけには行かないので、広めのアパートをスタジオにして描きました。

 北原 これは宝厳院へ行けば見せてもらえるんですか。

 田村 春と秋に一般公開されます。

 池内 こういうものは、年中見せないで秘仏みたいな公開にすると、ありがたみがグーンとあがるから(笑い)。
     これをなさって、変わられたところってありますか。

 田村 うーん、そうですね、このときは、それこそお経みたいなインドの音楽を聞きながらやりましたけど、
     残念ながら、そんなに極端に変われるものではなくて。
     でもこういう境地もかけたというのは、今は、引き出しが一つ増えたって感じでしょうかね。

 池内 でも、こういう風に作品を並べてみると、まなざしとか、色の使い方とか、ずいぶん変ってきてますね。

 北原 前のは、まなざしがきりっとしている。
     こちらになると(近く名古屋日赤病院で公開される壁画を指して)、ずいぶんやわらかなまなざしになっていて。

 田村 そうなんです。
     ずいぶん変わってきている面もあります。
     下塗りも、以前はずいぶん黒とかグリーンの深い色を下に置いたりしてたんですが、近頃はちょっと黒が
     出すぎてるかなと思うようになって。
     下塗りの色も変わってくるんですね。

 北原 西安のホテルのきれいな赤も、一色ではなくて、やはり塗り重ねて出る色なんですか。

 田村 そうなんです。
     あの色があるわけじゃなくて、塗り重ねてあの色が。
     だから時間も塗りこめいますし、いろんな重なった色であの色が出来ているんです。

 池内 今後のご予定も、お忙しいんでしょうね。
 
 田村 おかげさまで(笑い)。
     まあ忙しいのは楽しんで忙しくしてるんでいいですが、宿題のようにたまってきているものをやらないと。
     来年、中国の古刹の天井と作面を頼まれてるんです、西安のをいたく気に入られて。
     でもそうこうしてたら、大変な年になりそうで、体力が続くかなと思ったりしています。

 北原 いや、まだまだ大丈夫。

 田村 そうでしょうか。じゃあ励まされて(笑い)。

 北原 今の絵を見ていると、もっと先まで大丈夫ですよ。
     なんか色っぽくなってきてますもの。

 田村 また。そんなこと言って、火をつけないでください(笑い)。
 

 

*文章のみの記事ページの掲載を省略させていただいています。


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銀座百点
2010年6月掲載NO.667