安藤裕子の「私の人生の師匠たち」
第4回 田村能里子さん
「今日は私、単なる一ファンなんです・・・」と、
珍しく緊張気味の安藤さん。
壁画というダイナミックなジャンルで日本の第一人者の
女流画家、田村能里子さんです。
アトリエで創作途中の作品を前に語り合ったふたりの話は、
女性観から人生論へ。
部屋のどこかで、美の神様も話を聞いていたはずです。
◇ たった一人足場に上がって黙々と描いています(田村)
都内某所にある田村能里子さんのアトリエ兼お住まいで、
今回の対談は始まりました。
広々としたリビングルームのそこここに、シルクロードや
インドの工芸品が飾られています。
足を切ったピアノがローテーブルとして使われていたり、
古い旅行かばんの中にテレビが隠されていたり、
センス良く気取らず、ウイットに富んだインテリアは、
田村さんのお人柄をそのまま表しているよう。
のびやかで居心地のいい空間です。
安藤: 私は田村さんのかねてからのファンで、
田村さんのお描きになった壁画をいろんなところで
楽しんできたんです。
蓼科ブライトンホテルには年に何回か必ず行きますので、
ロビーの階段を下りていくとそこに、田村ワールドが
広がっているわけですよ。
青梅にある慶友病院の壁画も本当にすばらしい。
だから壁画って、すごいんですよね。
私みたいに田村さんの絵が好きでも自分のものに
できない人間でも、田村さんの作品に触れることが
できるんですから。
田村: やはり多くの人に見ていただけるのが、壁画を描いているものの一番の喜びですね。
誰にでも見ていただける、大人も子供もお年寄りにも。
ただ、病院なら病院、学校なら学校、ホテルならホテルと、絵の内容も色も形もモチーフも、
さすがにわがままな絵描きでも、好き勝手に描くというわけにはいかないですね。
病院だったら、体力の落ちている方がご覧になるわけですから、それでも気持ちのいい時間が過ごせて、
もう少しがんばろうかと思っていただけるように。
ホテルなら、宿泊するゲストの旅の疲れを癒すとか。
加えて品位の高いアートであることとか。
とても欲張って描いています。
安藤: 描く時はやはり、足場を組んでお描きになるんですか?
田村: そうです、足場の上で、すさまじい恰好で勢いよく描くんです。
左官屋さんかペンキ屋さんみたいに、ね。
はりきっちゃうわけです。
もしかしたら年齢以上に。
安藤:アドレナリンが出ているわけですね。
田村:そう、たぶんそうなんです。
安藤:いきなり、描くんですか?それとも下絵を描いて・・・。
田村:いえ、下絵は描きません。
私の小さな脳細胞でテーブルの上の図面を見ながら考えたものは、どうしても小さくまとまってしまいますから。
私は現場主義というか、できるだけ現場で勝負、というと大げさですけど.。
どんな風が吹いてどんな人が通るのか、知らないと描けませんもの。
『飛鳥』という世界一周する大型客船の中に描いた時も、やはり建造中の船の中に入ってゴンドラに
ぶら下がって描きました。
安藤 現場の何かを感じとったときの勢いで、描くわけですね。
田村 ええ、銀座のファンケルスクエアの時には、銀座の街をぐるぐるぐる、あっちゃこっちゃ回って、
あたりの空気をいっぱい吸ったのね。
で、本当は事前にちょっと頭の中で考えてグリーンをベースにしようかと、緑色の絵の具をいっぱい
用意してあったんです。
だけどあの場所に立ったら、ああ、ここならブルーがキレイだと思ったの。
安藤 突然、ひらめいた。
田村 ええ、その直感は結果的には正しかったですね。
でも関係者の皆さんは、心配するみたいよ。あらかじめ「どんな絵になるのでしょう?」って。
「絵によって下に敷くカーペットの色を決めなければいけないので教えてください」なんていわれるんですけど、
なかなかお答えできないの。
でもいじめになっちゃいけないし(笑)
安藤 大きいですからね!その場の雰囲気を左右しますもの。
田村 また大きいものでないと私、お引き受けしないんです(笑)
壁画というのは、人を飲み込むように大きいものじゃないとダメ。
環境を揺るがすような大きさのものでないと、壁画とはいいません、って常日頃いい張っているの。
勝手に。
もちろん大事な空間を変えてしまうものですから、いいもの、ベストなものを作ろうという気持ちは強いですよ。
建物のあるかぎり残るんだということは、すごく考えます。
安藤 描いている最中はおひとりで、孤独な作業になるわけですか?
田村 現場では足場の上で足を踏ん張って朝から晩までやりますから、大変そうに見えるけど、
本人は結構楽しんでいるんですよね。
知り合いにいわせると、普段とは違う顔になってるって。
夜叉の顔になってるって言った知人もいましたね。(笑)
◇◆◇「現場は美の神様が助けてくれるんです」−田村 ◇◆◇
安藤 無我の境地、なんでしょうね。
田村 私ね、“現場に美神はおわします”といっているんです。
“美は細部に宿る”みたいね。
そこで美の神様がほほ笑んでくれている間は、いい絵が描けるかなと。
安藤 なるほど、神さまが降りていらっしゃる。
田村 そういう自信がどこかにないと。
現場で間違って落ちてけがしたりしないようにとか。
そういうことも含めて、ちょっと神様が手を貸してくださっているような気がするんです。
女は強いだけじゃダメなんだと・・・。
一区切りついたところでアトリエに案内していただきました。
描きかけの大作の前に腰を下ろすと、まるで絵の中の老人二人を交えて、四人で話しているような・・・。
安藤 私は田村さんの絵の何が好きかっていうと、描かれている女性の美しさ、なんですよね。
みんな地に足がついているというか、今にも消えてしまいそうな女性ではなくて。
田村 なよっとした人でなくて。
安藤 たとえ天空を舞っているような風情の女性でも、生命力をすごく感じるんです。
田村 そんなふうに感じていただけたら本当にうれしいわ。
若い時にしばらくインドに住んで、モデルばかりじゃなく路上にいる人たちみんなを見て、描いたのね。
地に足をつけてたくましく生きているリアルな女の人たちに、激しくほれ込んだんです。
そういう女性たちばかり描いている時代があったんですけど、40歳を過ぎてから、文化庁から進められて中国に
留学したんです。
その時、中国奥地のシルクロードまで足をのばして、今度はこの絵に描いてあるような老人たちに出会ったんです。
安藤 いいお顔してますね。
田村 もうしみじみとした、時間を超越したお顔でしょう?
向こうはそんなことなくて、食べていくのにい大変なんでよ、なんていってるかもしれないけど(笑)。
でもそういった切迫感とはほど遠い、悠然とした姿がまさに絵になっていた。
夢中でうんとこさ、描いたの。
それから50歳になってから、ダンナの都合でタイで3年ほど、暮らしました。
そうしたら今度はタイの、セクシーな女性の美しさにほれてしまったのね。
なよなよはしていないんです。
たおやかでセクシーで、それでいてあなたみたいに凛としていて。
安藤 働く女なんですよね、タイの女性は。
男の人が働かないから。
田村 それでいてぎすぎすしてない。
人に対してすごく柔らかいんです。
そこで何か、いわれているような気がしたのね。
やっぱり女って、たくましいだけではダメだよ、強いだけじゃダメだよって(笑)
安藤 何が必要なんですか?
田村 心がほっとするような、セクシーさ、たおやかさですね。
だからタイの女性たちを描いていたら、線がすごくしなやかになってきたの。
おしりなんかでも本当に触りたくなるような。
ただ柔らかいおしりじゃなくて、そこに凛とした精神があるような。
安藤 外柔内剛、ですね。
田村 そうすると絵の上での目線なんかも違ってくるんですよ。
安藤 タイの町を歩いている女性を見て、この人を描きたいと思ったりしたこと、あるんですか?
田村 タイにかぎらず、この近辺でもありますよ。
歩いていてもそのことが頭を占めているのだから。
安藤 本当ですか?
田村 電車を待つ間に、こっちの角度から見るとすごくいいから「あのー」って思わず声をかけたこともあります(笑)。
すると「おばさん、何か用?」って、胡散臭い目で見られたりして(笑)。
「絵を描いているのでよかったらモデルになってください」って、名刺を渡したりしてね。
◇◆◇ 「じゃあ安藤さんをモデルに描かせてもらおうかしら」 -田村 ◇◆◇
安藤 いいなあ! 絵に描いてもらうのは、すごく素敵な経験だと思いますよ。
田村 じゃ安藤さん、描かせてもらおうかしら。
安藤 えー!やめてくださいよ!
もう私、全然ダメ。
外も堅いし中も硬い。
本当に人生に奥行きがないタイプなんですから。
ふつうは入り口から出口までこう、しばらく距離があるじゃないですか。
でも私の場合は入り口と出口がまったく一緒で、入ったらこれっきり。
相手にもっと知りたいと思わせる要素がいっさいない。
それがないっていうのは、人間として致命的だと思います。
田村 いえいえ、私たち絵描きは形から入るというか、見た目で判断してしまいますけど、そんなふうには感じませんよ。
とても、懐の深い方だなと。
私、お人柄のデッサンも得意なんです(笑)
安藤 そうですかあ? 田村さんにそういっていただいたって、日記に書いておきます(笑)。
◇◆◇ 40歳で海外留学、その時ご主人は? -安藤 ◇◆◇
安藤 それにしても田村さん、40歳で海外留学というのは、すごい。
ご結婚されていたわけですよね?
田村 ええ、明治生まれのお姑さんもいましたし。
当時の女性としてはよくある暮らし方だったと思いますけど、それでも砂漠には行ってきますって感じで
「よろしく」ってあきらめていただいてね。
困ったもんだと思われていたかもしれませんけど。
安藤 ご主人はその時「いいよ、いいよ、行っておいで」と?
田村 その前からインドに行ったり砂漠に行ったりしていましたし、旅から帰ってくると
「ねねね、砂漠にこんなにすばらしい町があってね」って、弾んで報告していましたから。
それに、私がコツコツとこの一本道で努力して、半歩半歩、歩いてきたのを見いてくれましたから、
わかってくれたんじゃないでしょか。
安藤 だいたい絵描きさんというと、ちょっと変わっていて破天荒で、絵の才能はすごくあるけれど普通の暮らしは苦手、
というイメージがありましたよね。
でも田村さんはこんなに素敵なご家庭をつくって。
ご主人の面倒を見ながら壁画を描いている人は、いないんじゃないですか?
田村 たいていは男の人ががんばる、男社会だったんですよね、以前の環境は。
自分のことはいいにくいですけど、確かに、今までの絵描きにはなかった道を歩いていると思います。
でも女はなんていうか、アメーバーのような精神でね、いろいろな環境や局面に対応して生きていかなければいけないし。
それにしては私、ちょっと偏った生き方をしてきてしまったような気がしますけど(笑)
◇◆◇ 「主婦をしながら壁画を描くなんて、すごい!」 - 安藤 ◇◆◇
安藤 偏ったというのは、絵ひとすじでやってきたということですか?
田村 落としちゃったものもたくさんあるような気がします。
小さなことから絵に関しては時間と体力、エネルギーを費やして、時間をたっぷり体で受け止めてきましたので、
でも偏っていることを自分で知っていればいいのかな、とも。
安藤 でも、そういう生き方をしていらっしゃらなかったら本当に、今はないわけですよね。
田村 そうですね。
だから月並みですけど、悔いはないです。
今まで生きてきた時間、すべて絵を通しての人生であり、出会いであり。
食べることも、テーブルの上に載せるお皿一枚にしても、自分の美意識の中で暮らす、というか。
安藤 お部屋中が、すごい美意識に貫かれていますもの。
田村 ですからこれからは欲張らずにリラックスして・・・。
でもこのリラックスというのが案外むずかしいんですね(笑)。
髪を振り乱して必死に絵を描いていると、その瞬間がうれしくて幸せだったりもするものですから。
安藤 わかります、わかります。
そいういお話を聞くとちょっと安心(笑)。
私も年がら年中忙しくて、慌ただしい気かとをしていますから、一度でいいからデパートの最上階から地下まで隅々まで
歩いてみたいって、それがささやかな夢だったりします(笑)。
でもたとえば80歳くらいになった時に、しみじみ味わい深い時間がやってくるということも、あるんじゃないですか?
田村 そうね。だったらまだ当分は、リラックスよりも絵筆に集中して過ごすことになるのかな(笑)
安藤 次はどんな作品をお書きになるか、もう決まっているんですか?
田村 今ちょうど、50作目の壁画に取りかかっています。
壁画と言っても今度は京都の天龍寺さんの、襖絵なんです。
安藤 えー、50作目!?それはすごい、楽しみにしています。
◇◆◇ 対談を終えて ◇◆◇
私が今回、なせ一ファンであることに飽きたらず、田村さんに直接お会いしたかったかというと、
ああいう魅力的な女性たちの絵を描く田村さんご自身は、いったいどういう女性なのだろうと思ったからです。
思っていたとおり、温かいかたでした。
女性に対する視線が優しくておおらかで、全部許してくださる、そんな感じです。
田村さんが描く女性の美しさは、男性が女性に求めるものとは、まったく違いますものね。
しかも、お住まいの素敵だったこと!テラスにはジャスミンが咲きこぼれ、ご自分で張り替えたというソファや
ユニークなインテリアが、田村ワールドの新たな側面を見せてくれました。
描きかけの絵の前でお話ができるなんて、まさに至福の瞬間。
それにしても田村さん、お若いし、美しい!
お話していても発想がとても自由でポジティブで、元気なんです。
私もこれから田村さんの世に外面も内面も、素敵に年齢を重ねていきたいもの。
安藤今月もとことん勉強になりました。
(C)Noriko Tamura All Rights Reserved.