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過去の掲載記事
月刊 なごや NO.338


  


    ◇◆◇ ネオ・MAGA・人・倶楽部 ◇◆◇

   壁画は私がいなくなっても残ります。
   だから確信をもったものしか残せません。

   田村レッドと呼ばれる魅惑の赤色に包まれた、たおやかな女性たちを描き続ける。
 20代半ば、インドに滞在。
 たくましく生きる女性の姿に引かれて以来、一貫してアジアの「人のかたち」をテーマに描いてきました。
  帰国後は新進気鋭の洋画家として昭和会展優秀賞、現代裸婦展大賞など数々の賞を受賞。
 86年には、文化庁芸術家在外研修員として中国、北京中央美術学院に留学。
 西安のホテルの壁画を一人で手掛け、中国での軒轅杯を受賞。

  「名古屋JRセントラルタワーズ」、客船「飛鳥U」、「日本赤十字医療センター」、京都・天龍寺の「塔頭宝厳院本堂」など、
 56作の壁画を手掛けた第一人者です。
 いま、名古屋市の古川美術館と、分館の爲三郎館記念館で、これ窓の集大成ともいえる「田村能里子展」を
 開催中です。
  会場の古川美術館を訪れた田村さんをキャッチ!

     〓 古川美術館との深い縁 〓

  − 開催中の「田村能里子展」は充実の内容ですね。

 田村 私の創作の原点であるインドの女性像から最新作の壁画、そして生活の一部となっているインテリアや着物の
     絵付け、ちょっと趣の変わったものまでご覧いただける、集大成のような展覧会です。
     楽しんでいただければ嬉しいです。

  - 古川美術館とはご縁が深いのですか。

 田村 96年に爲三郎館記念館の天井画『季の嵐』を描くご縁をいただきました。
     日本一の映画配給会社を一代で築き上げ、103歳の天寿を全うされた古川爲三郎さんの嵐のような人生、
     その生き方や精神をどう表現したらいいのかずいぶん考えました。
      赤と黒を基調にして、お好きだった桜の花吹雪が舞い散る中に、美しい女性たちを描いたのですが、
     思った通りにピタッといきました。
      このときは制作過程を一般公開したんです。
     公開で絵を描くなんて初めてだったので、面白かったですね。
     お昼を取っていると「食べてる、食べてる」って、動物園のパンダになった気分でした(笑)。

     〓 壁画の所有者は皆さんです 〓

  - 今回の展示で新作の壁画がお披露目されています。

 田村 12月に名古屋第二赤十字病院に寄贈する『そよ風の五重奏』です。
     56作目の壁画になります。
     打ち合わせのために第二赤十字病院へ伺ったとき、一人の看護師さんが
     「明日から現地の救護支援のためアフガニスタンに行ってきます」とおっしゃったんですね。
      小柄な彼女が傷ついた人たちのために大変なところへ飛び込んでいくと聞き、心に火がつき
     「よし、自分もやろう」と。
      私も、入院や通院されている人たちが安らげる、元気になって笑顔を取り戻していただける作品を
     作りたいと思ったんです。
      こんなふうに絵を通して社会のお役にたてるなら幸せです。

  − 56作と、日本一多く壁画を描かれていらっしゃいます。
         田村さんに取って壁画の魅力とは?

 田村 キャンバスに描いた絵は、誰かの書斎や美術館に収まるわけです。
     一人の人が大切にしてくれるのも嬉しいのですが、壁画はいつでもそこに存在し、だれでも見ていただける。
     それはまた別の喜びなんです。


      壁画の所有者は皆さんです。
     だから、前を通るときには「おはよう!」とか、「今日は疲れちゃったよ、上司にしかられてさ」って
     絵の中の美神に声をかけてください。
     心が軽やかになってリフレッシュした気落ちになりますから(笑)。
      それに、現代の建造物は最低でも100年持ちますから、私がいなくなっても残るんです。
     私が残した絵を見て、次の時代の方が心を動かすかも知れないと思うと自分でもスゴいことだな、と。
     だから、確信をもったものしか残せないと考えています。


        〓 スタートは西安から 〓

  − 初めての壁画は中国で制作され、西安のホテルのロビーを飾っていますね。


  田村 88年、日中合弁で建てられた西安のホテル、唐華賓館に描いた『二都花宴図』が壁画第一作です。
       西安は唐時代に栄えた都市ですから、当時の資料や壁画を参考にして、シルクロードの風景、
      楊貴妃やとりまきの女官たちなどを登場させました。
       縦1・6m、横60mの大作で、日本と中国を行き来しながら一年半がかりで描きあげたんです。
      描いていたら、ペンキ屋さんがきて「へたくそだなー、ムラになっているよ、俺が手伝うよ」って(笑)
      その作品で日本人で初めて軒轅杯という賞を中国からいただきました。

  − 日中友好の架け橋ですね。

  田村  実は08年の四川大地震で40カ所もヒビが入って、今年の6月に10日間ほど修復作業のために西安へ
      行ってきました。
       1日10時間の大変な作業でしたが、きれいに直って。
      少しは友好関係の「修復」にもお役にたてたかな。

 

      〓 インドで出会った壁画それが出発点です 〓

   − 20代の4年間は、インドに滞在されました。

   田村  当時はまだ絵描きとはいえない卵の卵でした。
       40年前のインドですから今より過酷な環境でしたが、毎日、町に出て女性の絵を描いていましたね。
       焼けつく太陽のもと、貧困と喧騒で混とんとしている町の中、サリーをまとって裸足で仕事をする女性たちの
       逞しさに圧倒されたんです。
         ある時、インド北部のタール砂漠にあるジュンジュヌという町に旅行しました。
       そこはフレスコ画の壁画で埋め尽くされた町で、外壁だけでなく家の中も壁画だらけ。
        18〜19世紀のお金持ちのマハラジャが、画家を雇って自分の欲しいものを描かせていたそうです。
       踊る人とか、車の絵とか、美味しいものとか(笑)
       厳しい砂漠の貧しい町なのに人々が軽やかに暮らしていけるのは、壁画によって面白い空間つくりをしている
       からなんですね。
       それを見て、壁画っていいなあ、機会があったら自分も描こうと決めたんですよ。


      〓 タムラレッドの秘密 〓

   − 今回の作品も鮮やかな赤が印象的です。

   田村  大好きな色です。
       激しい、強烈というイメージの赤ではなく、心がなごむ赤。
       赤はただの赤ではなく、時の流れを感じさせるような絵肌の工夫や、下絵にブルーや緑など、補色関係の色を
       敷いたりしています。
       それが絵の決め手となることが多いですね。
         面白いことに若いときはどす黒く、暗い赤でしたが、年を重ねるにつれて穏やかさや明るさが出てきました。
       これからは派手じゃない、輝きのあるにぎやかな赤になればいいなと思っています。



 
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